歴史・文化
周南市美術博物館
常設展には、周南市出身の詩人 まど・みちお さんの作品の展示コーナーや、徳山の歴史を知ることができる特設コーナー等があります。また、時期によって様々な企画展が開催されています。ミュージアムショップでは、オリジナルグッズや企画展に合わせた関連グッズなども販売されています。
〒745-0006 周南市花畠町10-16
TEL:0834-22-8880
TEL:0834-22-8880
休館日:月曜日、年末年始(12/29~1/3)
※月曜が祝日の場合はその翌日
※月曜が祝日の場合はその翌日
湯野温泉薬師
山田家本屋
毛利家墓所
児玉神社
遠石八幡宮
古くは平安朝の時代から多くの参拝者が訪れる有数の神社として親しまれてきました。緑に囲まれた高台に広がる境内は、市街地とは思えないほどの自然と静けさに満ちています。推古天皇30年(622年)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(708年)この地に社殿を造営したのを創建としています。平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、本朝四所八幡の一つとも称されました。江戸時代には毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国からも多くの参詣を集めて門前は賑わいました。その後も周防国の大社として信仰は広がり、明治時代の社格では県社となり、現在も八幡大神のご神徳を仰ぐ人たちの参詣が絶えません。
〒745-0816 周南市遠石2丁目3-1
TEL:0834-32-8888
TEL:0834-32-8888
興元寺
中世の頃、野上(徳山の古名)の領主であった杉元相、元宣父子の宝篋印塔があり、市の文化財に指定されています。市内最大のイチョウの雌木があり、県内でも有数の巨樹です。
〒745-0851 周南市徳山一ノ井手5122
TEL:0834-21-1409
龍文寺
曹洞宗の名刹で室町時代の大内氏の重臣であった陶氏の墓所があります。市文化財の鉄造茶釜や楼門、また県の無形民俗文化財に指定されている「長穂念仏踊」は有名です。
〒745-0125 周南市大字長穂門前
TEL:0834-88-1072
TEL:0834-88-1072
陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔
児玉源太郎揮毫「皇威輝四海」碑
児玉源太郎像
徳山七士碑
浅見安之丞屋敷跡・児玉次郎彦誕生之地
児玉家屋敷跡・児玉大将産湯之井戸
児玉源太郎は、嘉永5年(1852年)2月25日にこの地にあった児玉家の屋敷で生まれました。当時使用していた井戸が保存されており「児玉大将産湯之井戸」の標石があります。
児玉家は源太郎の父半九郎の死後、安政5年(1858年)に浅見栄三郎の次男、次郎彦を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、「正義派」の一人として活動したため、元治元年(1864年)8月12日早暁、「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。
次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、「正義派」が政権をとるや、慶応元年(1865年)7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられました。
その後、源太郎は元の屋敷跡を買い戻して、明治36年(1903年)に郷里の後進育成を願い、近代的な私立図書館「児玉文庫」を開設しました。しかし、児玉文庫は昭和20年(1945年)、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。
児玉家は源太郎の父半九郎の死後、安政5年(1858年)に浅見栄三郎の次男、次郎彦を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、「正義派」の一人として活動したため、元治元年(1864年)8月12日早暁、「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。
次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、「正義派」が政権をとるや、慶応元年(1865年)7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられました。
その後、源太郎は元の屋敷跡を買い戻して、明治36年(1903年)に郷里の後進育成を願い、近代的な私立図書館「児玉文庫」を開設しました。しかし、児玉文庫は昭和20年(1945年)、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。
周南市毛利町