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徳山エリア

遠石八幡宮

遠石八幡宮

遠石八幡宮

遠石八幡宮

 古くは平安朝の時代から多くの参拝者が訪れる有数の神社として親しまれてきました。緑に囲まれた高台に広がる境内は、市街地とは思えないほどの自然と静けさに満ちています。
 推古天皇30年(622)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(708)この地に社殿を造営したのを創建とします。
 平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、本朝四所八幡の一つとも称されました。
 江戸時代には毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国からも多くの参詣を集め門前は賑わいました。
 その後も周防国の大社として信仰は広がり、明治時代の社格では県社となり、現在も八幡大神のご神徳を仰ぐ人たちの参詣が絶えません。

〒745-0816 山口県周南市遠石2丁目3-1
TEL(0834)32-8888

児玉神社

児玉神社

児玉神社

児玉神社

 陸軍大将・児玉源太郎を祭神とし、大正12年に旧邸跡に建てられたものです。
 境内には数々の石碑があります。
児玉源太郎(1852~1906)

山口県周南市児玉町

毛利家墓所

毛利家墓所

毛利家墓所

毛利家墓所

 初代徳山藩主毛利就隆と歴代藩主及びその妻子の墓所です。就隆は延宝2年(1674年)に大成寺を開いて菩提寺としました。就隆の墓石は高さ約4m、唐破風付本瓦葺屋根の覆屋で囲んだ立派な墓所です。

〒745-0835 山口県周南市
TEL(0834)21-4804

山田家本屋

山田家本屋

山田家本屋

山田家本屋



歴史ある武家屋敷を復元

湯野に屋敷を構えていた武家・山田家の本屋を復元した、約82坪の茅葺平屋建ての建物。もとは江戸時代の寛文・元禄(1661~1704年)頃に建てられた屋敷で、室町時代の武家屋敷の趣きと民家風の素朴な構えを併せ持つ。山口県の指定有形文化財。



周南市大字湯野4202番地2

湯野温泉薬師

湯野温泉薬師

湯野温泉薬師

湯野温泉薬師



温泉のお告げをした薬師如来を祀る

戦国争乱のまっただ中にあった天正年間(1573-92)、河村三五兵衛という男の夢に薬師如来が現れ、「この土の底に埋もれている仏を掘り出してお祀りをせよ、温泉が湧き出て繁盛するであろう」と告げた。さっそくお告げに従って掘ると、温泉と薬師如来像が現れたと言われ、この薬師如来を祀っている。


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回天発射訓練基地跡

回天発射訓練基地跡

回天発射訓練基地跡

回天発射訓練基地跡

 太平洋戦争末期の特攻兵器、人間魚雷「回天」の発射訓練などを行った基地跡で、「回天」を海面に揚げ降ろしたクレーンの跡も残っています。また、運搬にはトロッコが使われ、基地まではトンネルを通って運ばれており、トンネル内にはレールをコンクリートで埋めたあとが残っています。


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魚雷整備工場関係

魚雷整備工場関係

魚雷整備工場関係

魚雷整備工場関係

 魚雷の整備工場や兵舎関連の施設は、現在小学校となっているグラウンド周辺に点在しています。
 写真は危険物貯蔵庫跡で、近くには変電所跡、点火試験場跡などがあります。


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砲台跡

砲台跡

砲台跡

砲台跡

 太平洋戦争中、襲来する敵機から徳山地区を守るために設置されたもので、島の高台に3基、コンクリートの跡が残っています。
 また、近くにはレンガ造りの兵舎跡や別の山には探照灯跡もあります。


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魚雷見張所跡

魚雷見張所跡

 回天基地が建設される前、すでに大津島では九三式酸素魚雷の試験発射場や整備工場が整備されていました。この魚雷見張所跡は、発射試験場から発射されたものを見張るために造られたものです。



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十人墓

十人墓

十人墓

 1748年(寛延元年)、大津島沖で博多湾内の能古島の御用船の乗組員が遭難し、漂着した10人の遺体を地元民が手厚く葬ったのが10人墓で、毎年七夕の日に供養祭をおこなっています。
 墓石10基のうち5基には墓碑銘が記され、これが縁となって島間の交流が始まりました。


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七人墓

七人墓

七人墓

 1693年(元禄6年)、長崎県島原藩の6人が越後から江戸幕府の御城米を搬送中、暴風雨のため大津島横島沖で遭難。その時死没した人を祀ったものです。


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大阪城築城の残石

大阪城築城の残石

大阪城築城の残石

 1620年(元和6年)から10年間にわたり徳川幕府は外様大名に大阪城の石垣を構築させました。そのうち本丸と天守台の工事には毛利家が関わり、大津島から98個の石を運ぶ予定にしていました。
 島内に残る残石4個には藩主の家紋を省略した印が残っています。


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徳山七士碑

徳山七士碑

徳山七士碑

徳山七士碑はもとは遠石にあったものが現在地に移されました。篆額は毛利元徳、撰文および書は杉孫七郎です。七士が殉難した当時の徳山藩主毛利元蕃は建碑よりも前に亡くなっていますが(明治17年)、その実弟でかつ毛利本家を継いだ元徳による篆額は、七士の魂を慰めるという意味においても大いに意義のあることだったと思います。



山口県周南市児玉町1-4(児玉神社境内)

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児玉家屋敷跡・児玉大将産湯之井戸

 
 児玉源太郎は、嘉永5(1852)年2月25日にこの地にあった児玉家の屋敷で生まれました。当時使用していた井戸が保存されており「児玉大将産湯之井戸」の標石があります。
 児玉家は源太郎の父半九郎の死後、安政5(1858)年に浅見栄三郎の次男、次郎彦を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、「正義派」の一人として活動したため、元治元(1864)年8月12日早暁、「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。  
 次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、「正義派」が政権をとるや、慶応元(1865)年7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられました。
 その後、源太郎は元の屋敷跡を買い戻して、明治36(1903)年に郷里の後進育成を願い近代的な私立図書館「児玉文庫」を開設しました。しかし、児玉文庫は、昭和20(1945)年、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。


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浅見安之丞屋敷跡・児玉次郎彦誕生之地

 児玉次郎彦(源太郎の兄)は、浅見栄三郎の次男で児玉家を継ぎました。文久2(1862)年から周旋方として京師で活躍し、帰藩後は藩の大目付役として藩政の重責を果たしました。
 その後、興譲館の助訓役兼寮長となり、尊王攘夷のために活動しました。元治元(1864)年8月9日に河田佳蔵らが「俗論派」の富山源次郎を襲撃した際の一味とみられ、8月12日早暁に「俗論派」のために、自宅で暗殺されました。時に23才でした。


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陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔

陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔

陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔

陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔


 墓所の中央が児玉家累世墓、向かって右側が源太郎の兄次郎彦(幕末の政争で没)・久子夫婦の墓で、左側が児玉源太郎の遺髪塔です。
 遺髪塔の側面には、明治39年7月24日に死去、同7月28日に東京青山に葬られ、同9月8日この地に遺髪が納められたことが記されています。
 現在、源太郎の墓は東京都府中市の多磨霊園にあります。


山口県周南市岐山通

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児玉源太郎揮毫「皇威輝四海」碑


 この碑は、明治30(1897)年に戸田村が建てたもので、文字は児玉源太郎の揮毫によるものです。
 高さ1メートル85センチ、幅1メートル20センチの自然石に、「皇威輝四海」(こうい しかいに かがやく)と彫られています。裏面には、戸田村から日清戦争(1894?1895)に従軍した村民30名の氏名を記しています。


山口県周南市岐山通

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児玉源太郎像


 児玉源太郎像製作委員会が、児玉源太郎の顕彰を目的として児玉公園の一角に設置することとし、平成23年7月23日に除幕式が行われました。
 オリジナルの像は、国立台湾博物館が所蔵する新海竹太郎作の像です。


山口県周南市岐山通

龍文寺

龍文寺

曹洞宗の名刹で室町時代の大内氏の重臣であった陶氏の墓所があります。市文化財の鉄造茶釜や楼門、また県の無形文化財に指定されている「念仏踊り」は有名です。

所在地 周南市大字長穂門前
公共機関 JR山陽本線徳山駅から
バス 35分「長穂」下車
自動車 JR山陽本線徳山駅から20分
問い合わせ 龍文寺
電話 0834-88-1072

興元寺

興元寺

中世の頃、野上(徳山の古名)の領主であった杉元相、元宣父子の宝篋印塔があり、市の文化財に指定されています。天然記念物に指定されているイチョウは県内でも有数の巨樹です。

周南市大字上一ノ井手5122
自動車 山陽自動車道徳山東ICから10分
問い合わせ 興元寺
電話 0834-21-1409

新南陽エリア

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福川本陣跡

 「本陣」の起源は、(1363年)室町幕府2代将軍「足利義詮」が上洛のとき、「旅宿」と称したのに始まる。
 福川本陣は江戸時代、徳山毛利藩の「御茶屋」で始まり、参勤交代や幕府の要人たちが「休宿場」として利用。敷地面積は約1,200坪、1704年、細川越中守が初めて宿泊する。随行人は1,710人。周辺の民家に分散して泊まる。ちなみに参勤交代の平均的な人数は500~600人。

〒746-0063 山口県周南市本陣町13-12

問合せ先:周南市教育委員会 文化スポーツ課
〒745-0045 山口県周南市徳山港町3-21
TEL(0834)22-8622

若山城跡

若山城跡

若山城跡

若山城跡

 築城は文明2(1470)年。本丸(217㍍)を中心に東丸・西丸・蔵屋敷を配備。本丸の南方には「壇床」、北方に「竪堀」が現残している。
 陶氏は1350年ごろから1555年の毛利元就との「厳島合戦」に敗れるまで、200余年大内政権を支え、当地を治政した。その間、龍文寺や勝栄寺など多くの寺社建立に貢献する。

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建咲院

 8代・陶興房が父(弘護)と母を弔って建立。寺名は両親の戒名から1字ずつをとり命名する。院内には「元就」の遺髪や古文書が多数ある。

山口県周南市土井1丁目5-1
TEL(0834)62-2427

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勝栄寺

 創建は陶氏で住時は土塁に囲まれていた。1557年11月25日、防長制覇を果たした「毛利元就」が戦場にいる3人の子供たちに「教訓状」を書いたことで有名なお寺。

山口県周南市中央町3-10

問合せ先:福川本陣跡と同じ

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山崎八幡宮

 和銅2年(709)の創建と伝えられています。徳山藩歴代藩主の崇敬が厚く、例祭においては、「本山神事」のほか流鏑馬が行われた記録や前日に連歌の奉納が行われたことがしられています。

〒746-0017 山口県周南市宮の前1丁目6-13
TEL(0834)63-2550

龍豊寺

龍豊寺

大内氏の重臣、陶弘衛の菩提のために妻が建立した寺です。寺に伝わる陶弘衛画像は、雪舟筆と伝えられ国指定の重要文化財となっています。

所在地 周南市大字大道理門前1291
公共機関 JR山陽本線徳山駅から
バス 40分「大道理」下車
自動車 JR山陽本線徳山駅から25分
問い合わせ 龍豊寺
電話 0834-88-1764

川崎観音

川崎観音

川崎観音

安産とお乳の観音様として霊験あらたかで、毎月17日の縁日には接待があります。春の桜、秋の紅葉頃は特に参拝者でにぎわいます。

所在地 周南市川崎2丁目
公共機関 JR山陽本線新南陽駅から
徒歩 20分
自動車 JR山陽本線新南陽駅から5分
※17日以外で腹帯・お守りをお求めになりたい方は長広商店℡0834-62-2267

鹿野エリア

漢陽寺

漢陽寺

漢陽寺

漢陽寺

大本山南禅寺別格地で、山口県下屈指の名刹です。開基は応安7年(1374)、大内弘世のとき名僧用堂明機禅師によって建立されました。本尊は聖観音菩薩で、両脇に不動明王、毘沙門天が安置されています。

山口県周南市鹿野上2872
TEL(0834)68-2010

二所山田神社

二所山田神社

二所山田神社

二所山田神社

 二所山田神社は、二所大明神と山田神社が合祀され明治40年に生まれました。また、男女同権をさきがけて、女子道社を設立しました。

〒745-0302 山口県周南市鹿野上2894
TEL(0834)68-3860

潮音洞

潮音洞

潮音洞

 鹿野地区は錦川より高い場所にあり水を得にくかったため、岩崎想左衛門重友が私財を投じて4年の歳月をかけ漢陽寺の裏山にトンネルを掘り、潮音洞を完成させました。

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龍雲寺

龍雲寺

龍雲寺

応永15年(1408)に創建された臨済宗の古刹。龍頭苑、白水苑、大望園と樹姿、配石の妙を得た三庭があり、さらに境内には知恵を授かる文珠堂もあります。

所在地 周南市大字鹿野上字大地庵
公共機関 JR山陽本線徳山駅から
バス 60分「鹿野」下車
徒歩 さらに10分
自動車 中国自動車道鹿野ICから5分
問い合わせ 龍雲寺
電話 0834-68-2132

熊毛エリア

徳修館(県指定有形文化財)

徳修館(県指定有形文化財)

徳修館(県指定有形文化財)

 第23代宍戸就年により文化6年(1809)創設され、第25代宍戸元礼のとき聖廟を建て孔子など5人を祀る。藩政時代は勿論明治以降も多くの若者がここで学び、この地方の教育や文化の向上に大きく貢献した。

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宍戸親基公碑(市指定有形文化財)

宍戸親基公碑(市指定有形文化財)

 第26代宍戸親基は、幕末、明治維新に活躍し三丘においては文武を奨励、その功績により大正4年従四位を贈られた。この碑は地域の人々によって大正14年建立された。

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宍戸家墓所

宍戸家墓所

 寛永2年(1625)宍戸家が三丘領主となって以来の墓所で、毛利一門筆頭として当時の面影がしのばれる。
 仙竜寺墓所(旧仙竜寺跡付近)
 毛利元就公歯廟の西方およそ100米のところにあって、第16代から第19代までの墓碑がある。
 貞昌寺墓所
 貞昌寺の後山にあり、第20代から第25代までの墓碑が整然と並んでいる。

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毛利元政墓所(市指定史跡)

毛利元政墓所(市指定史跡)

 右田毛利の祖、毛利元政の子元倶によって建立される。左側が元政の墓碑(宝篋印塔)で、当時のままの完全な形を遺す。右側は宍戸隆家孫元続(三丘初代)の夫人で、織田信長の娘と伝えられ、この石塔の形は県下でも例を見ない特異なものといわれている。

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毛利元就公歯廟(市指定史跡)

毛利元就公歯廟(市指定史跡)

毛利元就公歯廟(市指定史跡)

毛利元就公歯廟(市指定史跡)

毛利元就の七男で、慶長8年(1603)に三丘領主となった毛利元政が、その年が父元就の33回忌、母の3回忌であったことから建てた宝篋印塔です。元政が身につけていた元就の歯を納めた(右)と伝えられています。


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貞昌寺(曹洞宗)

貞昌寺(曹洞宗)

 第17代宍戸広匡夫人の法名に因み「久岳山貞昌寺」と号し、宍戸家の菩提寺となる。位牌堂には、宍戸初代家政より幕末までの歴代650余年の霊碑が安置されている。

曹洞宗水上山「太陽寺」

曹洞宗水上山「太陽寺」

曹洞宗水上山「太陽寺」

曹洞宗水上山「太陽寺」

 曹洞宗、水上山と号し、本尊は釈迦如来。寺伝によれば、貞和3年(1347)3月、天徳雲貞の創建。火災に遭い、その後再建された、防長の同宗四古刹と称される。
 太陽寺では毎年夏、そうめん流しで賑わいます

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真宗遍照山「浄光寺」

 万治元年(1658)の開基で本尊は阿弥陀如来です。宝永元年(1704)までは善喜庵という禅寺でしたがいつの頃か長善という僧が真宗に帰依し善光寺と改称するようになりました。明治3年浄西寺と合併、同13年に再び分離復旧し現在に至っています。

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真宗五百山「円照寺」

 寛永元年(1624)開基、本尊は阿弥陀如来です。1916部、8534巻もの経本の大蔵経がこんないなかのお寺に現存するのは非常に珍しく和尚の苦労がうかがえます。
(町文化財指定)

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寺島忠三郎誕生の地

寺島忠三郎誕生の地

 明治維新の志士、寺島忠三郎が天保14年(1843年)高水村原の近習寺島多三郎の二男として生まれた場所。
 忠三郎は、萩の松下村塾に入り、吉田松陰に学び、尊王攘夷運動に尽くし、禁門の変に際し、久坂玄瑞らとともに自刃しました。

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呼坂宿駅本陣跡

呼坂宿駅本陣跡

呼坂宿駅本陣跡

呼坂宿駅本陣跡

 参勤交代などで大名や上使が休んだり泊まったりした呼坂宿駅本陣であった河内家です。河内七左衛門の代(天明年間1781年~1788年)から江戸時代末期まで本陣を引受けていました。大名などの名前を書いた御休札も保存されています。

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吉田松陰先生江戸送りに際し、寺島忠三郎訣別の地

吉田松陰先生江戸送りに際し、寺島忠三郎訣別の地

 安政6年(1859年)吉田松陰が萩の野山獄から江戸に移される途中、松蔭の弟子寺島忠三郎が師と無言の別れを告げた場所です。

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三光寺

三光寺

周南七福神の一つ(弁財天)で三蔵院ともいい、滝の観音(乳観音)のあることで有名です。また、後方の清尾山の頂上に立つ二つの巨岩は夫婦岩と呼ばれ、高水神社の奥の院と伝えられています。

所在地 周南市大字清尾316
公共機関 JR山陽本線高水駅から
徒歩 20分
自動車 JR岩徳線高水駅から5分
問い合わせ 三光寺
電話 0833-91-0459

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

安政6年(1859年)吉田松陰が萩の野山獄から江戸に移される途中、松陰の弟子寺嶋忠三郎が師と無言の別れを告げた場所です。

所在地 周南市大字呼坂
自動車 JR岩徳線高水駅から3分
問い合わせ 【熊】社会教育課
電話 0833-92-0254

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