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大津島エリア

回天記念館

「回天」に関わる遺品、資料の展示を中心に「回天」の歴史や当時の時代背景、生活の様子をパネル展示などを使い紹介しています。また遺書、手紙、遺影や遺品は合計約1,000点になります。

回天訓練基地跡

 太平洋戦争末期の特攻兵器、人間魚雷「回天」の訓練などを行った基地跡で、「回天」を海面に揚げ降ろしたクレーンの跡も残っています。また、運搬にはトロッコが使われ、基地まではトンネルを通って運ばれており、トンネル内にはレールをコンクリートで埋めたあとが残っています。

魚雷見張所跡

 回天基地が建設される前、すでに大津島では九三式酸素魚雷の試験発射場や整備工場が整備されていました。この魚雷見張所跡は、発射試験場から発射されたものを見張るために造られたものです。

魚雷整備工場関係

 魚雷の整備工場や兵舎関連の施設は、現在小学校となっているグラウンド周辺に点在しています。
 写真は危険物貯蔵庫跡で、近くには変電所跡、点火試験場跡などがあります。

砲台跡

 太平洋戦争中、襲来する敵機から徳山地区を守るために設置されたもので、島の高台に3基、コンクリートの跡が残っています。
 また、近くにはレンガ造りの兵舎跡や別の山には探照灯跡もあります。

十人墓

 1748年(寛延元年)、大津島沖で博多湾内の能古島の御用船の乗組員が遭難し、漂着した10人の遺体を地元民が手厚く葬ったのが10人墓で、毎年七夕の日に供養祭をおこなっています。
 墓石10基のうち5基には墓碑銘が記され、これが縁となって島間の交流が始まりました。

七人墓

 1693年(元禄6年)、長崎県島原藩の6人が越後から江戸幕府の御城米を搬送中、暴風雨のため大津島横島沖で遭難。その時死没した人を祀ったものです。

大阪城築城の残石

 1620年(元和6年)から10年間にわたり徳川幕府は外様大名に大阪城の石垣を構築させました。そのうち本丸と天守台の工事には毛利家が関わり、大津島から98個の石を運ぶ予定にしていました。
 島内に残る残石4個には藩主の家紋を省略した印が残っています。
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