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熊毛エリア

曹洞宗水上山「大陽寺」

 曹洞宗、水上山と号し、本尊は釈迦如来。寺伝によれば、貞和3年(1347)3月、天徳雲貞の創建。火災に遭い、その後再建された、防長の同宗四古刹と称される。

寺島忠三郎誕生の地

 明治維新の志士、寺島忠三郎が天保14年(1843年)高水村原の近習寺島多三郎の二男として生まれた場所。
 忠三郎は、萩の松下村塾に入り、吉田松陰に学び、尊王攘夷運動に尽くし、禁門の変に際し、久坂玄瑞らとともに自刃しました。

吉田松陰と寺嶋忠三郎訣別の地

安政6年(1859年)吉田松陰が萩の野山獄から江戸に移される途中、松陰の弟子寺嶋忠三郎が師と無言の別れを告げた場所です。
 
所在地 周南市大字呼坂
自動車 JR岩徳線高水駅から3分
問い合わせ 【熊】社会教育課
TEL:0833-92-0254

呼坂宿駅本陣跡

 参勤交代などで大名や上使が休んだり泊まったりした呼坂宿駅本陣であった河内家です。河内七左衛門の代(天明年間1781年~1788年)から江戸時代末期まで本陣を引受けていました。大名などの名前を書いた御休札も保存されています。

三光寺

周南七福神の一つ(弁財天)で三蔵院ともいい、滝の観音(乳観音)のあることで有名です。また、後方の清尾山の頂上に立つ二つの巨岩は夫婦岩と呼ばれ、高水神社の奥の院と伝えられています。
 
所在地 周南市大字清尾316
公共機関 JR山陽本線高水駅から
徒歩 20分
自動車 JR岩徳線高水駅から5分
問い合わせ 三光寺
TEL:0833-91-0459

徳修館(県指定有形文化財)

 第23代宍戸就年により文化6年(1809)創設され、第25代宍戸元礼のとき聖廟を建て孔子など5人を祀る。藩政時代は勿論明治以降も多くの若者がここで学び、この地方の教育や文化の向上に大きく貢献した。

真宗遍照山「浄光寺」

 万治元年(1658)の開基で本尊は阿弥陀如来です。宝永元年(1704)までは善喜庵という禅寺でしたがいつの頃か長善という僧が真宗に帰依し善光寺と改称するようになりました。明治3年浄西寺と合併、同13年に再び分離復旧し現在に至っています。

真宗五百山「円照寺」

 寛永元年(1624)開基、本尊は阿弥陀如来です。1916部、8534巻もの経本の大蔵経がこんないなかのお寺に現存するのは非常に珍しく和尚の苦労がうかがえます。
(町文化財指定)

毛利元政墓所(市指定史跡)

 右田毛利の祖、毛利元政の子元倶によって建立される。左側が元政の墓碑(宝篋印塔)で、当時のままの完全な形を遺す。右側は宍戸隆家孫元続(三丘初代)の夫人で、織田信長の娘と伝えられ、この石塔の形は県下でも例を見ない特異なものといわれている。

貞昌寺(曹洞宗)

 第17代宍戸広匡夫人の法名に因み「久岳山貞昌寺」と号し、宍戸家の菩提寺となる。位牌堂には、宍戸初代家政より幕末までの歴代650余年の霊碑が安置されている。
 
 

宍戸親基公碑(市指定有形文化財)

 第26代宍戸親基は、幕末、明治維新に活躍し三丘においては文武を奨励、その功績により大正4年従四位を贈られた。この碑は地域の人々によって大正14年建立された。

宍戸家墓所

 寛永2年(1625)宍戸家が三丘領主となって以来の墓所で、毛利一門筆頭として当時の面影がしのばれる。
 仙竜寺墓所(旧仙竜寺跡付近)
 毛利元就公歯廟の西方およそ100米のところにあって、第16代から第19代までの墓碑がある。
 貞昌寺墓所
 貞昌寺の後山にあり、第20代から第25代までの墓碑が整然と並んでいる。

毛利元就公歯廟(市指定史跡)

毛利元就の七男で、慶長8年(1603)に三丘領主となった毛利元政が、その年が父元就の33回忌、母の3回忌であったことから建てた宝篋印塔です。元政が身につけていた元就の歯を納めた(右)と伝えられています。

伊藤公資料館

初代内閣総理大臣伊藤博文公の生家を復元し産湯に使ったとされる井戸も保存されています。県内で新しい日本の国づくりに力を尽くした人がいたってすごいですよね。
 
山口県光市大字束荷2250番地1
TEL:0820-48-1623

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