本文へ移動

徳山エリア

周南市美術博物館

美術館でゆっくりしてみては?
徳山の昔の風景や徳山歴史探検コーナーなどがあったりしておもしろい。雰囲気も落ち着いてて素敵。ミュージアムショップは周南市美術博物館のオリジナルピンバッチやブローチなどがあり、展示に合わせた商品がたくさん!
 
TEL(0834)-22-8880

湯野温泉薬師

温泉のお告げをした薬師如来を祀る
 
戦国争乱のまっただ中にあった天正年間(1573-92)、河村三五兵衛という男の夢に薬師如来が現れ、「この土の底に埋もれている仏を掘り出してお祀りをせよ、温泉が湧き出て繁盛するであろう」と告げた。さっそくお告げに従って掘ると、温泉と薬師如来像が現れたと言われ、この薬師如来を祀っている。

山田家本屋

歴史ある武家屋敷を復元
 
湯野に屋敷を構えていた武家・山田家の本屋を復元した、約82坪の茅葺平屋建ての建物。もとは江戸時代の寛文・元禄(1661~1704年)頃に建てられた屋敷で、室町時代の武家屋敷の趣きと民家風の素朴な構えを併せ持つ。山口県の指定有形文化財。
 
周南市大字湯野4202番地2

毛利家墓所

 初代徳山藩主毛利就隆と歴代藩主及びその妻子の墓所です。就隆は延宝2年(1674年)に大成寺を開いて菩提寺としました。就隆の墓石は高さ約4m、唐破風付本瓦葺屋根の覆屋で囲んだ立派な墓所です。
 
〒745-0835 山口県周南市
TEL(0834)21-4804

児玉神社

 陸軍大将・児玉源太郎を祭神とし、大正12年に旧邸跡に建てられたものです。
 境内には数々の石碑があります。
児玉源太郎(1852~1906)
 
山口県周南市児玉町

遠石八幡宮

 古くは平安朝の時代から多くの参拝者が訪れる有数の神社として親しまれてきました。緑に囲まれた高台に広がる境内は、市街地とは思えないほどの自然と静けさに満ちています。
 推古天皇30年(622)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(708)この地に社殿を造営したのを創建とします。
 平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、本朝四所八幡の一つとも称されました。
 江戸時代には毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国からも多くの参詣を集め門前は賑わいました。
 その後も周防国の大社として信仰は広がり、明治時代の社格では県社となり、現在も八幡大神のご神徳を仰ぐ人たちの参詣が絶えません。
 
〒745-0816 山口県周南市遠石2丁目3-1
TEL(0834)32-8888

興元寺

中世の頃、野上(徳山の古名)の領主であった杉元相、元宣父子の宝篋印塔があり、市の文化財に指定されています。天然記念物に指定されているイチョウは県内でも有数の巨樹です。
 
周南市大字上一ノ井手5122
自動車 山陽自動車道徳山東ICから10分
問い合わせ 興元寺
電話 0834-21-1409

龍文寺

曹洞宗の名刹で室町時代の大内氏の重臣であった陶氏の墓所があります。市文化財の鉄造茶釜や楼門、また県の無形文化財に指定されている「念仏踊り」は有名です。
 
所在地 周南市大字長穂門前
公共機関 JR山陽本線徳山駅から
バス 35分「長穂」下車
自動車 JR山陽本線徳山駅から20分
問い合わせ 龍文寺
電話 0834-88-1072

陸軍大将子爵児玉源太郎卿遺髪塔

 墓所の中央が児玉家累世墓、向かって右側が源太郎の兄次郎彦(幕末の政争で没)・久子夫婦の墓で、左側が児玉源太郎の遺髪塔です。
 遺髪塔の側面には、明治39年7月24日に死去、同7月28日に東京青山に葬られ、同9月8日この地に遺髪が納められたことが記されています。
 現在、源太郎の墓は東京都府中市の多磨霊園にあります。
 
山口県周南市岐山通

児玉源太郎揮毫「皇威輝四海」碑

 この碑は、明治30(1897)年に戸田村が建てたもので、文字は児玉源太郎の揮毫によるものです。
 高さ1メートル85センチ、幅1メートル20センチの自然石に、「皇威輝四海」(こうい しかいに かがやく)と彫られています。裏面には、戸田村から日清戦争(1894~1895)に従軍した村民30名の氏名を記しています。
 
山口県周南市岐山通

児玉源太郎像

 児玉源太郎像製作委員会が、児玉源太郎の顕彰を目的として児玉公園の一角に設置することとし、平成23年7月23日に除幕式が行われました。
 オリジナルの像は、国立台湾博物館が所蔵する新海竹太郎作の像です。
 
山口県周南市岐山通

徳山七士碑

徳山七士碑はもとは遠石にあったものが現在地に移されました。篆額は毛利元徳、撰文および書は杉孫七郎です。七士が殉難した当時の徳山藩主毛利元蕃は建碑よりも前に亡くなっていますが(明治17年)、その実弟でかつ毛利本家を継いだ元徳による篆額は、七士の魂を慰めるという意味においても大いに意義のあることだったと思います。
 
山口県周南市児玉町1-4(児玉神社境内)

浅見安之丞屋敷跡・児玉次郎彦誕生之地

 児玉次郎彦(源太郎の兄)は、浅見栄三郎の次男で児玉家を継ぎました。文久2(1862)年から周旋方として京師で活躍し、帰藩後は藩の大目付役として藩政の重責を果たしました。
 その後、興譲館の助訓役兼寮長となり、尊王攘夷のために活動しました。元治元(1864)年8月9日に河田佳蔵らが「俗論派」の富山源次郎を襲撃した際の一味とみられ、8月12日早暁に「俗論派」のために、自宅で暗殺されました。時に23才でした。

児玉家屋敷跡・児玉大将産湯之井戸

 児玉源太郎は、嘉永5(1852)年2月25日にこの地にあった児玉家の屋敷で生まれました。当時使用していた井戸が保存されており「児玉大将産湯之井戸」の標石があります。
 児玉家は源太郎の父半九郎の死後、安政5(1858)年に浅見栄三郎の次男、次郎彦を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、「正義派」の一人として活動したため、元治元(1864)年8月12日早暁、「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。  
 次郎彦の死後間もなく、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、「正義派」が政権をとるや、慶応元(1865)年7月13日、源太郎が家名を相続し、現在児玉神社がある場所に新しい屋敷が与えられました。
 その後、源太郎は元の屋敷跡を買い戻して、明治36(1903)年に郷里の後進育成を願い近代的な私立図書館「児玉文庫」を開設しました。しかし、児玉文庫は、昭和20(1945)年、太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。

高瀬峡

島地川上流にあり、四季の織りなす自然の美しさを満喫できる美しい渓谷です。渓谷にそって2.2kmの自然遊歩道を歩けば、切り立った岩や奇岩の間をぬう水の流れ、滝のしぶきが訪れるひとを魅了します。
 
所在地 周南市大字高瀬
公共機関 JR山陽本線新南陽駅から
バス 45分「高瀬」下車
自動車 JR山陽本線新南陽駅から25分
問い合わせ 【新】産業振興課
電話 0834-61-4108

大玉杉

高さ34m、胸高幹周は10.5m。県内でもっとも大きい樹木でありたびたびの落雷や風害にもかかわらず今も威容を誇っています。
 
会場・場所 飛龍八幡宮
所在地 周南市大字須々万本郷
公共機関 JR山陽本線徳山駅から
バス 20分「桜久保」下車
徒歩 さらに5分
自動車 JR山陽本線徳山駅から20分
問い合わせ 生涯学習課
電話 0834-22-8622

八十八ヵ所遍路

馬島を一周する八十八ヵ所遍路。
道はよく整備されており、南側遍路は高台にあるため景色もよく、天候の良い日には遠く四国や九州が望めます。
コースは馬島港からは途中、御大師堂や「くろや大明神」を経由し、柳ヶ浦地区を通過し、再び馬島港へ戻ってきます。

桜街道

刈尾から本浦地区へ続く道の周辺にはたくさんの桜の木が植樹されており、春には美しい通りに変身します。
また、柳ヶ浦地区や回天記念館周辺にも多くの桜が植樹されており、訪れた人の目を楽しませます。
一般財団法人
周南観光コンベンション協会
〒745-0033
山口県周南市みなみ銀座1-8
TEL.0834-33-8424
FAX.0834-33-8425
TOPへ戻る